先日の続きです・・・2001年6月「Izumi,Sweet Grass」Rec, 節目として20年前のRec写真をアップしたいです。
レコーディングは5年間温めイメージを作ってきたものがやっと形になる!その事がとても嬉しく、私にとって緊張と共に喜びしかありませんでした。勿論、五十川さん&宮崎さんがプロデューサーとして十分な準備をして下さったからほかなりません。ミュージシャンの選出は、宮崎さんと五十川さんが安心してRec.作業をスムーズに進められ、カバーでないオリジナル曲のイメージに沿って、オリジナルなメロディーを作って下さるセンスあるミュージシャン方々でした。これはテクニックが豊富でもそう誰にでも出来るプレイではないですから・・・プロデューサーに感謝しています。
Recスタジオは防音室。それが苦手な人もいるようですが、私は相性よく眠気が度々襲ってきました。五十川さん曰わく「眠気はリラックスしてる証拠、気はりつめてたら良い録音出来ないからね」と。それに「ボーカルは疲れたらいけない」と、五十川さんのお弟子さん(ドラムスの藤井さん、お写真なくて残念)をサポートに付けて下さった気遣いも感謝しきれない思いでいます。ボーカルRec.についてもいっぱいありますが、またあとから少し付け足せればと思います。
京都Recを取り終えた後のオーバーダビングは、宮崎さんの提案で思いもよらぬ10月のナッシュビル スタジオ。それが9.11ニューヨーク テロで想像もしない大きな予定変更となってしまいました() それでもMix downまで無事に作業を終え・・・結果オーライ!宮崎千秋ちゃんにもフライドのではお世話になってありがとうございました。宮崎さんが撮って下さったナッシュビル写真もまた後ほどアップしたいです。それと坂庭さん方々の心に沁みる良いお話も近いうちに・・・。
(スタジオ写真は、主人が2回足を運び撮ってくれたものです。私は写真を撮る余裕なかったので、今となっては本当に有り難い)
Rec.の時、ベーシック音から順に楽器録音してゆきますが、その時にガイドと言って私がオペレーター室から軽く歌って各スタジオに届けたのですが、その時の軽やかなささやきのような歌声「それが、良い!それ!」って五十川さんが目をリンリンと輝かせ私に向けたのです。私は???でしたが、結局楽器を全て取り終えたボーカルRecの時もほぼ、これに近いヴォーカルで歌う事になったのです。この写真のようにね。その事は、又次の投稿で・・・。
省悟さんは、Rec.の度にギターの弦を全部まっさらに張り替えてられました。もったいない・・・って思いましたが、それが省悟さんのポリシーでありRec.にのぞむ儀式でしょうか。私にとっては何とも言えない尊い儀式のように思えました。
五十川さんは、ドラムス、パーカッション、その他色々な音色でサウンドの色づけをして下さいました。そして、私のリードボーカル&ハーモニーを担当して下さいました。
宮崎さんも省悟さんと同じくRec.の度にマンドリン8本の弦を全部まっさらに張り替えてられました。もったいないのと面倒・・・って思いましたが、省悟さんと同じくのポリシーでありRec.にのぞむ儀式でしょうね。綺麗に弦を留めるやり方教えて頂きましたが、私はいつも雑にしか出来ません。でも確かグリスマン(だったと思いますが、)弦はるの丁寧でないよー、って笑ってられました。
バンジョーの吉田さとしさん。八日市のくらま楽器店主として活躍されてます
ベースの川辺ぺっぺいさん。京都を拠点にミュージシャンとして活躍されてます。そして彦根の十字屋音楽教室では長年ベースの指導をなさってられます。
省悟さんは他の人のRec.に少しで参加した事あったけど、全曲で参加したのは始めて。って嬉しい事をおっしゃってました。
スタジオには中庭があって、そこには木々や花が植わったとても心地良い憩いの場でした。休憩時はここへ来て気持ちがとても安らいだのです。壁側に座っていますが、ちょっとした緑の楽園でした。テーブル中央の大きな鉢は、何と灰皿です。
CD曲のなかで一番気に入って下さったのは「夢路」だそうです。私も多分そうだろう。と思っていました(*^-^*)
五十川さんは有能なプロデューサーで沢山のRec.を手がけてられました。マルチなミュージシャンでもあって、私のアメリカーナな音楽意識を良く理解して下さり、面白い面白いと言って下さった事が大きな救いとなりました。
オペレーター室からの五十川さん。にっこりされてますね。
省悟さんが素晴らしいバンジョーを持ってスタジオにお越し下さいました。それを大事に抱えてのショットです。